はじめまして。四柱推命鑑定師のともみです。
会社員だった私が、鑑定師になるまでの道のりについて、ここではお話していきたいと思います。
フィールドワークで大忙し!
もともと私は、海運業界で10年以上働いていました。国内外問わず、造船所やや港に出向き、海の広がる景色を見ながら仕事をしていました。2か月くらい休みなしで働いていたこともあります。いわば仕事人間でしたね。
あの頃はかっこいい女性に憧れていました。男社会で女性だからと見下されることが本当に悔しかった…!結婚後も仕事を続ける未来を描いていましたが、子どもを授かったことをきっかけに、一度そのキャリアに区切りをつけることにしました。転勤も多く、体力仕事がメインだった私は、この環境で子育てしながら仕事を続けるのは難しいと判断したからです。
また、両親が共働きで生後3か月から保育園に入った私は、専業主婦の母という理想の母親像を頭に描いていたのかもしれません。
子育てに専念?でも…!
正直、それまでの私は子育てを舐めていたと思います。第一子を産んだその日から衝撃的な日々が始まりました。初産で体もままならぬ状態で睡眠もろくにとれず。子育てに専念どころではない、今すぐ逃げ出したいと思いました。(息子よ、申し訳ない)
病院には行きませんでしたが産後うつの傾向もあったのでしょう、地域の保健師さんが毎週のように訪ねてきてくれました。
長男は人見知りの激しい子で、なかなか一時保育を利用するのも難しかったので、幼稚園入園まではどっぷり親子で濃い時間を過ごしました。今思えば、しんどかったけど、幸せな時間だったと思います。
個人事業主キャリアのスタート
長男の幼稚園入園を機に、私のフリーランス人生が始まりました。
元の勤め先に復帰するという手段もありましたが、まだ理想が捨てきれなかったのでしょうか、子供のことで職場に迷惑をかけてしまう、そんな心配が捨てきれず、在宅で仕事をしようと決意。
まずはWebライターを3年ほど。頑張れば頑張るほど、文字単価は徐々にあがっていきます。
さらにライターをしていると、今度は自分でWebサイトを作成したいという気持ちが生じて、ブログ運営、Webサイト制作を学びました。ブログ運営は主にアドセンスで稼げるサイトをいくつか立ち上げます。メンターにも学び、2年ほどかかりましたが、会社員として働いていたときの月収に追いつき、さらには超えるようになりました。そして、自己キャリア史上最高の年収8桁を達成したのです。
四柱推命との出会い
ある日突然、大きな転機が訪れました。
ブログ運営の一つの柱がなくなってしまったのです。その喪失感は想像以上に大きく、次第に仕事への意欲も失っていきました。追い打ちをかけるように、目の調子が悪くなったり皮膚の病気にかかったりと、体調を崩して入院にまで発展する始末…。体力だけでなく、心のエネルギーまでもが奪われていきました。
サイト運営でまた一から始めればいい。それはそうです。だけど、なぜかやる気が出ない…。
「このままではいけない、自分にとって本当に大切なことは何なのか?」
自問自答の日々が続く中で、偶然のように訪れた出会いがありました。それが、四柱推命との出会いです。
生年月日と生まれた時間から導かれる「8つの文字」。それらが教えてくれるのは、私自身の特性や才能、そして過去から現在、今後の未来予想図。私はまず、四柱推命で自分のこれまでの人生を振り返りました。すると、まさに納得、っといった感じで、人生の答え合わせができたように感じました。
よくわからないけど、すーっと導かれるように、四柱推命を学び始めました。奥が深くて難しい学問ではありますが、、でもすごく面白いなって思ったんです。生まれた日と時間から、ここまでわかるのか、と。久しぶりにワクワクした瞬間でした。
四柱推命を学んで、いろいろな人の命式を見させていただいて、お客様が私が感じたように面白さを感じてくれたり、何かひとつでも発見とか、納得とか、そういうものを得て少しでも満足してくれるのがうれしいです。
そしてこれからは、ちょっと前の私と同じように悩んでいる方々が、自分の道を見つけられるよう手助けしたいと思っています。私が四柱推命を通して、自分を取り戻し、一歩前に進めたように、皆さんが一歩を踏み出すお手伝いをさせていただけれさらに嬉しいです。